ペダルを踏むと、頭の中の雑音が遠のく

自転車に乗っている時だけ、なぜか考えごとがすっきりとまとまる。そんな感覚を、私は昔から不思議に思っていた。朝の少し冷たい空気の中、ペダルを踏み出すと、最初は足にだけ意識が向く。右、左、右、左。一定のリズムが、体の奥にまで染み込んでくる。気づけば、さっきまで頭の中を占領していた、細かい不安や迷いが、少し遠くへ退いている。
家を出る直前まで、私はよく立ち止まってしまう。あれもこれも考えて、何から手をつければいいのか決められず、ただ時間だけが過ぎていく。でも、自転車にまたがって走り出した瞬間、その迷いは一度、脇に置かれる。今は考えなくていい、とでも言うように、道と風と足の動きが、私を前へ前へと連れていく。
不思議なことに、自転車に乗っている間は「前だけ」を見ている。後ろを振り返る余裕もないし、立ち止まって考え直すこともできない。ただ、今いる場所から、次の場所へ向かって進むしかない。その単純さが、頭の中の複雑さを、少しずつほどいてくれるのだろうか。あなたは、体を動かしている時に、ふっと心が静かになる瞬間を感じたことはありますか。
足のリズムが、思考の形を整えてくれる
ペダルを踏む動きは、意識しなくても続いていく。一定の速さで、一定の力で、淡々と。私はこの「繰り返し」が、思考を整える鍵なのではないかと思っている。考えることをやめようとしても、頭は勝手に動いてしまう。でも、足が淡々と動いている時、考えもまた、淡々と流れはじめる。
悩みごとは、たいてい立ち止まっている時に大きくなる。椅子に座って、スマートフォンを眺めて、何度も同じ考えをなぞる。答えが出ないまま、ぐるぐると回り続ける。そんな時、私は思いきって自転車に乗る。目的地がなくてもいい。ただ少し遠回りして、静かな道を選んで走る。
風の音、タイヤが舗道をなぞる音、遠くの車の気配。そういう音に意識が分散していくうちに、悩みごとは少し形を変える。「どうしよう」から、「こうしてみようかな」へと、ほんの少しだけ角が取れる。足のリズムが、思考の角も丸くしてくれるような気がするのだ。
考えを整理するには、机に向かうより、移動している方が向いている人もいるのかもしれない。あなたにとって、思考がいちばん自然に整う場所は、どこでしょうか。
前だけを見るという、やさしい限定
自転車に乗っている時、私は後ろをあまり見ない。もちろん安全確認はするけれど、基本は前へ進むために視線を使う。信号、曲がり角、人の流れ。今この瞬間に必要な情報だけが、目に入ってくる。それ以外のことは、自然と見えなくなる。
日常の中では、つい過去のことを思い出したり、まだ来てもいない未来の心配をしたりする。あの時、ああすればよかった。これから、どうなってしまうのだろう。そんな考えは、意識しなくても勝手に湧いてくる。でも、自転車に乗っている間は、それらが少し遠ざかる。今、目の前の道を外れずに進むこと。それだけで、頭も心もいっぱいになるからだ。
前だけを見るというのは、思っている以上にやさしい行為なのかもしれない。過去を責めなくていい。未来を急がなくていい。ただ、今の自分が進める分だけ、進めばいい。自転車は、そんな当たり前のことを、体で教えてくれる。
もし、人生にも「今だけを見る時間」がもっとあっていいのだとしたら、私たちは少しだけ、楽になれるのではないだろうか。あなたは、最近「前だけを見ていた」と言える時間を、持てていますか。
澄んだ思考は、また日常へ戻っていく
目的地に着いて、自転車を降りると、私はまた元の私に戻る。仕事のこと、人とのやり取り、決めなければならないこと。澄んだ思考は、ずっと続くわけではない。魔法のように、悩みが消えてしまうわけでもない。それでも、ほんの数十分、自転車と一緒に進んだ時間が、心の中に小さな余白を残してくれる。
その余白があるだけで、同じ悩みでも、少し違って見えることがある。「まだ答えは出ないけれど、今日はここまででいい」と思える日が増えた。前に進むというのは、必ずしも大きな前進でなくていい。ペダル一回分の小さな進みでも、確かに景色は変わっていく。
自転車を漕いでいる時だけ思考が澄むのは、足を動かして前だけを見ているからなのかもしれない。でもそれだけではなく、「今」に体ごと預けているからなのだとも思う。考えすぎず、ため込みすぎず、ただ進む。そのシンプルさが、私の思考をいちど、洗い流してくれているのだろう。
今日も私は、澄んだ時間を少しだけ借りて、また日常へ戻っていく。悩みはまた現れるし、迷いもきっとなくならない。それでも、ペダルを踏めば、また思考は静かに整っていく。そう思えるだけで、少しだけ心は軽くなる。
明日もまた、自転車に乗るのだろうか。澄んだ思考を探しに、私は今日も、静かに前へ進んでいく。

