通学路にいつもいる猫は、私より自由に見える

朝の通学路と一匹の猫

毎朝、家を出て少し歩いたところに小さな駐車場があります。そこは決して特別な場所ではなく、普通の町角。ただ、私にとってはちょっとだけ楽しみなポイントになっています。理由は、そこにいつも決まって現れる一匹の猫がいるからです。

その猫は、三毛でもなく、真っ黒でもなく、どこか曖昧な毛並み。尻尾は少し曲がっていて、歩き方にどこか品のあるリズムが感じられます。はじめのうちはただの野良猫だと思っていました。でも、毎朝ほぼ同じ場所で、しかも必ず太陽がよく当たるコンクリートの上で毛繕いをしている様子を見ていると、「この場所がこの子の世界なのかな」と感じてしまいます。

今朝も、その猫は同じ場所にいました。私と目が合うと、ふわりと尻尾を持ち上げて、それからすぐに視線を外します。その何気ない仕草に、なぜだか心がやわらぐのです。あなたには、通り道のどこかで、気になる動物や存在がいますか?

猫の自由と、私の小さな窮屈さ

私はその猫を眺めながら、ついこんなことを考えます。――「この子は、私よりずっと自由だな」と。

毎日同じ時間、同じ道を歩いて学校や職場に向かう自分。きっと今日も昨日と同じように、教室や職場の中で誰かと話し、帰り道には決まったスーパーに寄る。そんな「決められた線路」を歩いている気がして、時々息苦しさを感じることがあります。

でも猫は違う。誰に決められるでもなく、気が向けば日向ぼっこをして、飽きたらどこかへ行ってしまう。誰かに「早く!」と急かされることもないし、心のままに目を閉じて眠ることもできる。その姿は、どこか憧れに近い感情を私に呼び起こします。

ふと、私は自分に問いかけてみたくなります。自由とは、いったい何でしょう? 私の「当たり前」は、本当に誰かに決められているものなのでしょうか? あるいは、自分自身がいつのまにか作り上げた小さな“檻”のようなものかもしれません。

「自由」の形はいくつもある

ある日、猫がいつもの場所にいませんでした。少しだけ残念な気持ちで通学路を歩いていると、遠くのブロック塀の上で日向ぼっこをしている姿を見つけました。思わず「今日はそこがいいんだね」と心の中でつぶやきます。

そんな猫の姿を見て、「自由」という言葉が思い浮かびます。でも、本当に自由なのは猫だけでしょうか? 私は自分で選んだ道を、毎日歩いている。その道を歩くことも、もしかしたら“私なりの自由”なのかもしれません。

「自由」の形は人によって違います。好きなことだけをして生きる自由もあれば、毎日を丁寧に積み重ねることもひとつの自由。あの猫のように、好きな場所で好きな時間を過ごすことも素敵。でも、もしかすると私が思っているより、私の中にも小さな「自由」はたくさん転がっているのかもしれません。

あなたは、どんなときに自分の「自由」を感じますか? 誰かと比べてしまうことはありませんか?

比べないで歩く、自分だけの道

ある朝、猫と私がふたたび目を合わせたとき、少しだけ胸が軽くなった気がしました。「この子はこの子、私は私」。そうやって静かに認めてあげるだけで、心がほどけていくような感覚があります。

猫は今日も、きっと自分の好きなように過ごしている。でも、私だって、今ここに立っていることも、毎日道を歩くことも、誰かと笑い合うことも――全部「私だけの選択」なのかもしれません。少し窮屈に感じていた日々も、見方を変えれば「自分が選んでいる人生」だと気づけます。

自由とは、目の前に転がっている小さな選択を、ひとつひとつ自分で選ぶことなのかもしれません。猫のように、誰かの目を気にせず「今日はこれでいい」と思える瞬間を増やしていきたい。もしも、あなたも何かと比べて自分のことを窮屈に感じることがあったなら、そっと深呼吸して「私の自由ってなんだろう」と自分に尋ねてみてください。

今日もまた、自由な猫に会いに

通学路の猫は、これからもきっと好きな時間に好きな場所に現れるでしょう。私はそんな猫の姿を見るたびに、少しだけ肩の力が抜けて、今日という一日を自分の歩幅で過ごしたくなります。

誰かのようにならなくてもいい。比べなくてもいい。小さな自由を、心のどこかで感じながら、一歩一歩を積み重ねていきたいと思うのです。

あなたにも、そんな「自由」の瞬間がたくさん訪れますように。今日もまた、猫に会いに歩いていく私の足取りは、昨日よりほんの少しだけ軽やかです。

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