職場に着いた瞬間、人は社会用の顔をまとう

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玄関の扉を開けたとき、私のなかで何かが切り替わる

毎朝、家を出る前の私は、まだ「自分」のままです。キッチンで淹れたてのコーヒーをゆっくり飲み、窓の外の空を眺めたり、昨日の出来事を反芻したり。鏡に映る自分の顔は、まだやわらかく、どこかぼんやりしています。「今日も一日が始まるな」と思いながら、ゆっくりと服を選び、髪を整える。その一つひとつの動作に、まだ心の余白が残っています。

けれど、玄関の扉を開けて外に一歩踏み出したとき、ほんの少しだけ気持ちが引き締まるのを感じます。通勤電車に揺られ、駅から歩くうちに、心のどこかで「これから社会に入っていく」というスイッチが、静かに入るような気がするのです。

職場のビルが見えてくると、息を整えながら歩幅も自然と速くなっていきます。エレベーターに乗り込んだあたりから、自分の中の「社会の顔」が、少しずつ表に出てくるのを感じます。まるで無意識のうちに、心の奥で「切り替えのスイッチ」を押しているような感覚です。
あなたは、職場に着くまでのあいだ、どんな気持ちで過ごしていますか?

オフィスの扉の向こうに現れる「もうひとりの自分」

職場に着いて、入り口の自動ドアが開いた瞬間。私はふっと姿勢を正し、笑顔を意識し、自然と「社会用の顔」をまとっています。それは演技でも嘘でもなく、「社会の一員」として周囲と調和して生きるための、私なりの“制服”のようなものなのかもしれません。

デスクに座り、同僚に「おはようございます」と声をかける自分。資料を手に取って、テキパキと仕事を始める自分。どこか自信ありげなその表情は、家でぼんやりしていた私とは少しだけ違って見えます。「社会用の顔」をまとうことで、不思議と心が落ち着き、仕事へのスイッチも自然と入っていきます。

けれど、そんな自分の姿をどこかで眺めながら、「これが本当の私なのだろうか?」と時々問いかけたくなることも。家庭での私、職場での私、友人と過ごす私――そのどれもが「本当の私」なのだと、最近やっと思えるようになりました。

あなたは、職場での自分とプライベートな自分に違いを感じることがありますか? その違いは、どんなところに現れるのでしょうか。

「社会用の顔」は私を守ってくれるもの

仕事中、ふとした拍子に気持ちが沈むことや、うまくいかないこともあります。そんなとき、私はあえて「社会用の顔」を意識的に作ることがあります。無理に明るくふるまったり、強く見せたりするのではなく、周囲とのバランスをとるための“自分なりのルール”のようなものです。

たとえば、気が重い会議の前には深呼吸をして、鏡で軽く微笑む練習をすることも。誰かと話すときも、相手の目を見て穏やかに挨拶することを心がけています。そうすることで、たとえ心の中に波風が立っていても、外側の自分が私自身を守ってくれているような、そんな安心感が生まれます。

社会で生きるということは、誰かに合わせたり、周囲との距離感を測ったりすることの連続です。自分の“素”だけではうまくいかない場面も多い。そんなときにまとう「社会用の顔」は、決して偽りの仮面ではなく、「私が私でいるための大切な防具」だと思うようになりました。

あなたも、社会の中で自然と“顔”を変えていることに気づく瞬間はありますか? その切り替えは、あなたにとってどんな意味を持っていますか?

本当の自分を大切にしながら、今日も歩き出す

仕事が終わり、ビルを出るとき。夕焼けに染まる空を見上げながら、私は自然と肩の力が抜けていくのを感じます。朝は「社会用の顔」でぎゅっと引き締めていた気持ちも、家路につく頃には、またやわらかくなっている。駅までの道を歩きながら、「今日もよくがんばったな」と静かに自分をねぎらいます。

社会で生きるためにまとう顔も、家での素顔も、どちらも私の大切な一部。それぞれに役割があり、意味がある。どちらかが偽物ということはなくて、いろんな“私”が重なり合って、本当の自分ができあがっていくのだと、最近は思えるようになりました。

だからこそ、仕事でがんばる自分にも、家でくつろぐ自分にも、等しくやさしい気持ちを向けてあげたい。
もし、あなたも職場での自分に「無理をしているのでは?」と感じることがあったら、どうか自分を責めず、そっと心の中で「おつかれさま」と声をかけてみてください。

社会のなかでいろんな顔をまといながら、今日もまた新しい自分と出会う――そんな毎日を、私は静かに楽しんでいます。あなたの今日という日にも、小さな癒しと前向きな力がそっと宿りますように。

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